下出(シモイデ)地区は阪南市で最も広い地区の一つ。東には泉南市を隔てる男里川が流れ、東西には信長街道がはしる。中心には大願寺が鎮座し、その敷地内にやぐら部屋が存在する。南海本線尾崎駅が存在し、街の中心地として発達すると、その利便性から住宅地として整備され街並みは様変わりしたが、地区のいたる所に道しるべとなる地蔵や祠が立つ等、昔ながらの風情を残す所もある。

下出地区は八坂神社鎮守の地である。この八坂神社は明治四十一年の寺社併合の際、鳥取神社に合祀される。現在の祭礼意匠にも八坂神社紋である瓜紋を見ることができる。

下出地区は諸事情の為、昭和三十八年を最後にやぐら曳行を休止し、やぐらを下出在住の個人に売却。祭礼日、青年団をはじめ各種団体は体育大会を開催。地区の団結を深めた。昭和五十年代後半より有志が祭礼復帰に向け立ち上がることとなる。 

「我が町に育つ子供たちに、下出のやぐらを曳かせてやりたい」

やぐらの新調と祭礼復帰を望む若者の声は、やがて下出全土に広まることとなる。昭和六十一年、大工棟梁吉岡利一、彫刻責任者木下頼定により先代のやぐらを新調。ついに悲願のやぐら再建と祭礼復帰を果たした。

現在のやぐらは、平成12年に新調委員会が発足し製作開始。実に8年の歳月をかけて新調された。屋根型は切妻、阪南市では初めての三段垂木仕様になっており、やぐらには珍しく手先を変えた枡組が特徴的である。醒ヶ井の銘彫西澤大美が手がけた彫刻は、重厚で奥行きがあり目を見張るものがある。小屋根枡合三方見送りに施された川中島大合戦の場面は見る者を唸らせる。

以前下出地区は地域が大きく曳き手も多い為、上組と下組の二台のやぐらを所有。しかし戦時の曳き手不足の為、一台に統合されることとなった。往古には三台のやぐらが存在したといわれる。






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