黒田の名の由来は、地区に存在する全ての田は地よく肥え美田であり、土の色が黒かったことから。黒田地区には昔から石匠が多くおり、高野山奥ノ院最大の駿河大納言忠長建立の五輪塔は、黒田石工の甚左衛門の作である。

現在曳行されているやぐらの彫刻場面は独特で、神話物語や中国三国志が中心に施されている。これは文久三年製作の先代やぐらを踏襲したものといわれる。江戸体制下ではやぐらの新調には藩の許可、幕府の許可が必要で、彫刻場面を決定する際は全て幕府に申請しなければならなかった(*1)。政治批判と受け取られるものや徳川方に反する物語、つまり織田家や大阪の誇りである豊臣家に関する題材は規制をうけ、新調を許可されないことがあった。そのため、この当時新調されたやぐらの彫刻は、中国の物語である三國志演義や水滸伝、また日本の物語では源平合戦や川中島大合戦などが格好の題材となった。

先代のやぐらは文久三年、堺のだんじり大工吉兵衛により製作。一貫四百匁という新調に要した費用も莫大であった(*2)。現在のやぐらは、大正六年より三年がかりで製作。費用も二千円を超え、やぐらとしては破格の制作費を要した(*3)。

現やぐらは昭和に一度と平成二度の三度の大修理を経験。昭和の大修理の際は、大場面彫刻を除く全ての部位を交換。まさに新調同然の姿見となり、さらに地区の団結を高めることとなった。この大修理の際に、現在の法被に意匠を変更。阪南市で最も人気のある法被の一つである(*4)。


*1)
やぐらの新調の際には、彫刻全てに藩の役人の検分が必要。やぐら彫刻場面を全て帳面に記し、新調の許可を求め藩に出願した。新調が認められやぐらが新調されると、藩が許可した彫刻場面には藩から出向いた役人が「正」の焼印を押していった。この焼印は次に新調される際、全て削り落とされることが義務付けられていた。

*2)
文久二年、岸和田市藤井町がだんじり購入した際に要した費用が四百匁。一貫四百匁というとだんじりよりもはるかに高い新調費用である。

*3)
大正六年に新調された岸和田下野町だんじりの制作費が二千円。現在の価値にすると千万円程度にあたる。だんじりと変わらない新調費用を要したことは、当時の者を驚愕させたそうだ。

*4)
隣町の下出がやぐらを新調し、相生町、福島町にも新調の気配が漂う中、町内では「この際、思い切って新調を・・・」との声もあがるが、「黒田のやぐらは日本一のやぐら。新調するとはもってのほか。」と大修理に落ち着いた。なお修理前はやぐらには珍しく飾目の鬼板であったが、見栄えが良いようにと獅噛に改修された。


   



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