石田地区のやぐら。祭礼では波太神社鎮座の為、宮本を名乗り参加する。現在は尾崎の宮本町と区別する為、石田宮本と表現されることが多い。石田地区は名の示す如く、土壌の状態がおもわしくなく、田は瘠せて小石の混じり、畑作が主であった。明治以後、地下水を利用する灌漑法が考案され水田化が進んだ。

石田の中心に鎮座する波太神社は、元々畑村(現在の桑畑地区)に存在したものを石田の地に移転したもの。石田地区の者は宮本の誇りを示し、祭礼以外でも地区は「宮本」としか表現しない。

宮本のやぐらは平成二年、地元大工川端建設により新調。平成に入っての初めての新調やぐらである。入魂式は同年新調の西鳥取地区波有手組と合同で、祭礼目前九月三十日に入魂式が挙行された。阪南市で初めての、現在においても唯一である総欅作りの本体。曳き手が多いため大型のやぐらが製作された。彫刻はだんじり細工で名を馳せた、木下賢治。彫刻中心場面は源平合戦記、難波戦記・忠臣蔵美談などが盛り込まれた。総欅作り所以の重量の為、曳き手の苦労は相当なものだろう。

以前石田地区は上組と下組に分かれ、それぞれやぐらを所有し曳行していたが、昭和初期、戦下の曳き手不足により両地区が統合。下のやぐらを田尻町吉見に売却し、上のやぐらを石田とし曳行する。先代やぐらは現やぐら新調の際、泉南市岡田北に売却。現在は岬町岬で曳行中である。昭和三十年代には隣村の桑畑地区がやぐらの曳行を休止、やぐらの曳行は石田地区と統合された。

なお波太神社例大祭の御輿渡御をはじめその他の祭礼行事は、石田地区と桑畑地区に分かれ、それぞれで行っている。


   


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