2005/12/30

2005/11/30


箱作のやぐらと波太神社



 どうやら箱作の2地区のやぐらが、波太神社の馬場先曳行に参加したいとの意向が祭礼本部に伝えられているようだ。箱作東は菅原神社、箱作西は加茂神社の氏地である。やぐら部屋はそれぞれ神社内に存在し、宮入は祭礼1日目に行われる。

 箱作2地区が波太神社に宮入する(馬場先を回す)なんてことは、春木南のだんじりがコナカラ坂を上がるようなもの。波太神社祭礼の馬場先曳行は阪南のやぐら祭、最大の見せ場であり、その存在は泉州地方で広く知れ渡っているほど。箱作地区(の若者)にとって馬場先に入ることは希望憧憬があると思うが、実際に馬場先を曳行するとなると、これは現実的ではない。

 氏子の問題は当該神社の合祀という方法で解決できる。合祀は本来、政府により推進された中小神社の統合政策であり、現在も国家より神社の統廃合は推奨されている。大きな神社との合祀においては、その神社に神体を移し共に祀ることが要求される。大社と呼ばれるように、波太神社のような泉州地域でも最大級の神社であれば、当然神体は波太神社に移され、基本的に元の神社は廃合する。社を残すにしても、神体が存在しないので国から神社として認められることはない。

 合祀を繰り返せばもちろん、その神社の氏神が存在する地域は大きくなる。このついての問題は様々あるだろう。身近なところで考えてみると、新しく家を建てる際、地鎮祭をしようと思っても近くに地域ゆかりの神社が存在しなければ、遠くの神社に出向いて地鎮祭の意向を伝え、呼び寄せなければならない。神様と違って宮司さんの数は限られているし、簡単にゆくものでもない。それが大社ともなればなおさらのことだ。

 「合祀」とそれらしい言葉で表される神社の統廃合は、云わば地域の神社を捨てることを意味している。東地区の菅原神社は菅原道真公所縁の神社であるし、西地区の加茂神社は「箱作」の名の由来ともなった京都賀茂神社の分社と、地域に所縁のある由緒ある神社である。合祀をしてまで馬場先を曳行したいと考えているわけではあるまい。

 やぐら祭やだんじり祭を行っている地域においても、(地区の意向は別として)神社の統廃合されたところが少なからずある。例えば、岸和田十月祭礼地区の上松町山下地区や、作材町など二存在した神社(天満宮)は九月祭礼で宮入が行われる沼町の菅原天神宮に合祀され、十月祭礼では山下地区だんじりの宮入りも行われる。山下地区は菅原天神宮から近いこともあり、このような特異な宮入が行われるのだが、基本的に地元の神社が地区から離れた場所へ合祀された場合、神社へ訪れることはせず、宮司が地区に赴いて宮入儀式を行う。これは和泉市や泉南市の各地区でも見られる、ごく一般的な祭礼行事である。

 合祀の話題とは少しずれるが、近年、岸和田旧市祭礼に参加している春木南地区(春木南は春木南浜町・春木北浜町・春木泉町の連合)が氏神をそれまでの春木弥栄神社から沼の菅原天神宮へ移し、完全に旧市祭礼に移行してはどうかとの話題が聞かれるようになった。昔とは違い、日がな岸和田旧市地区で連合曳行するようになった春木南でこのような話が興ることは当然だろう。他の春木地区のだんじりと一線を画すように、朝早くに弥栄神社で宮入を済ませ、急いで旧市地区に移動しなければいけない現在の春木南の曳行体系では、曳き手から1日中旧市に居てたいと不満が出てもおかしくはない。

 箱作にしても春木にしても、祭のためだけに神体を地区から離れた神社へ移動させるということは、村祭りとして成り立っている泉州地域の祭礼の本質から外れている。箱作の地区民は、地元神社の神体を遠くへ移し、地域を蔑ろにした祭りをすることを望んでいるのか。パレードが始まった当初、市が参加の要請を出しても、「地域を無視できない」と不参加の意向を持ち出してきたのではなかったか。私は箱作地区ほど地域を大切にした祭礼を行っている地区はないと思っている。若者が「やぐらを馬場先に曳き入れたい」と声をあげていたとしても、地区の有識者、長老達は『論外』と高を括っているのであろうか。

 と、ここまで宮入について述べたが、提案した箱作地区としては、このように大きな問題意識はなかったようだ。

 「今年はパレード解散後、尾崎地区と共に浜を回り、やぐらを海老野の浜に曳き入れて地区に帰った。来年は是非、波太神社馬場先を回ってみたい。」

 地元地区でも、曳き出しなど特別な状況でしか曳き入れない海老野浜は云わば尾崎地区の聖地である。そこに他地区のやぐらが曳き入れられたこの試みは、地区内外から非難が轟々とあがる結果となってしまった。これが馬場先に、となると更なる批判があがることは避けられないだろう。確かに他地区であろうとも宮入時でないならば、波太神社が所在する石田地区へ乗り入れを申し出、石田の住人が頭を縦に振れば、馬場先曳行に何の問題もない。(宮入時は波太神社、及び下出、黒田、鳥取中、石田など各地区の波太神社へ向かうための宮入順路は宮入を行う地区だけに開放される。たとえ石田でも他地区のやぐらが宮入を行っている時は、地区にやぐらを曳き入れることはない。)しかし、波太神社へ宮入する18の地区にとって波太神社馬場先という場所は、まさに聖地と言ってよい。この地域に生まれたものは物心付いた頃から馬場先で綱を持つことに憧れ、1年間をこの一瞬に全てを懸けているのだ。記録にはないかもしれないが、祭礼における事故などで何十人、何百人という命が失われている。まさに命を懸けて曳き回している聖地に、宮入でないとしても他地区のやぐらが曳き入れられるということは、波太神社に乗り入れる18町にとって耐え難いものではなかろうか。

 私は「やぐらが他地区に出向く」といった行事には否定的だ。それは地元ではない他地区が尾崎を回ったから、馬場先を回すから、と言うわけではない。箱作地区は地元を大きく離れてパレードに参加している。住民は地元の村祭りから箱作の代表としてパレードへ2台のやぐらを送り出しているのだ。パレードが終わり、時間があるのなら一刻も早く地元へ帰り、村内曳行を行うのが本来の姿だろう。遠く異地で懸命に曳行を行ったやぐらや曳き手を温かく迎え、いち早く労いの言葉をかけたいと思うのが地区住民の気持ちなのではなかろうか。

 しかしながら、こういった前衛的な試みは阪南市全体の祭礼意識を高め、若手が目標に掲げるパレードではない祭礼全体での連合曳行へつながってゆくかもしれない。箱作地区が行ったような提案を頭から「受け入れられない」と突っぱねていたようでは、祭礼の発展はない。阪南市全体の祭礼を発展させる為には、どのような小さなことでも先ず提案すること、その提案を各地区各町それぞれで、また阪南市全体で熟考することが必要であろう。

2005年11月






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