楠公父子桜井駅の決別


延元元年(1336年)、足利尊氏の大群を迎え撃つため京都を発った楠木正成は、桜井駅で長子の正行に遺訓を残し河内へ引き帰らせた。

桜井駅は現在の大阪府三島郡島本町にあり、桜井駅跡は国指定の史跡として残されている。古代律令制度に基づき山陽道(現在の旧西国街道)に設けられた駅馬の一つで、「太平記第十六巻」の「正成兵庫に下向の事」(湊川の戦い)において1336年、足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が嫡男正行を河内国に帰らせた「楠公父子決別之所」と伝えられている。

この「桜井の別れ」は、戦前の皇国史観教育や唱歌などで、正成が勝てぬ戦と知りながら天皇のために忠義を尽くしたと脚色して伝えられた。また、現在の兵庫県神戸市中央区には、楠木正成・正季兄弟終焉の地として正成ら楠木一族を祭神に祀った湊川神社があり、徳川光圀自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑などが存在する。


参照:フリー百科事典Wikipedia


大阪市平野区野堂南大屋根正面懸魚







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