大江山鬼退治


大江山には3つの鬼退治伝説が残されている。一つは、古事記に記された、崇神天皇の弟 日子坐王が土蜘蛛 陸耳御笠を退治したという話。二つめは聖徳太子の弟 麻呂子親王が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが有名な酒呑童子伝説である。これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃坑となった銅鉱山跡に1993年日本の鬼の交流博物館が作られた。


酒呑童子

酒呑童子は日本最強の鬼と言ってよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化した崇徳天皇とならんで、日本三大悪妖怪と謳われるようになった。そして、数ある妖怪の中でも、九尾の狐に次いで、日本で有名な妖怪としてでも知られるようになった。

だが、酒呑童子と白面金毛九尾の狐とは、具体的な関連性があまりない。共に陰陽師、安部晴明とは敵対するという点で共通するが、面識があったのかどうかは定かではない。

京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い女を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので源頼光と頼光四天王により成敗された。名前の通りの大酒飲みで、成敗されたときも「鬼が飲むと眠る」という酒を飲まされて寝首を掻かれた。しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。

備考として、酒呑童子は平安時代の悪習であった追儺という儀式の偽装鬼の一人でもあった。



参照・引用:フリー百科事典Wikipedia




東大阪市足代参枚板 『茨木童子と渡辺綱』






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