村上義光錦旗奪還


村上義光は鎌倉後期の武士。

護良親王が従者と共に山伏姿に身をやつし、紀州より熊野を経て吉野へ進んだ際、芋瀬の豪族は宮を見逃そうと思ったが、後日、鎌倉の咎めを恐れ、一計を案じ錦旗を賜った。一行より遅れた彦四郎義光、通りがかりに下僕の持つ旗を見れば、それは正しく錦旗であった。義光は怒り、下郎持っていた錦旗を取戻し、大の男を引っ掴み七間ばかりも投げつけたと云う。


貝塚市王子町小屋根枡合左面

阪南市波有手小屋根胴幕板

写真提供:だんじり保存会城様







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